ドナとスクーターは「鎌倉殿の13人」のゆかりの地をバイクで巡っています。
今回はシリーズ2回目で石橋山の戦いの史跡や佐奈田霊社に加え、頼朝が安房国に船出した真鶴の海岸を訪れました。
大河ドラマ2回目の記憶に残るシーンを先にご紹介します。
早朝の湯河原です。
源頼朝と姉の政子を追って来た義時が露天風呂で頼朝との二人きりの会話です。(日の出の方向の海上に半島や山が入り組んだ風景がCG合成されていますが湯河原の実際の景色と違うのがちょい残念)
湯に浸かる義時は頼朝に対し北条家から出て行って欲しいと非礼な言葉を吐いてしまいます。
(平和だった北条の地は頼朝が館に来てから伊東祐親との争いが起き、義時は頼朝の件で面倒な事に何度も巻き込まれ、姉のことも心配していました。
頼朝から直接、挙兵はしないと聞かされていたので頼朝のことを災難そのものと考え始めたのです。)
ところが頼朝は今まで伏せていた悲願、平家打倒をついに義時に明かします。
頼朝は流人生活が長く頼朝の周りには後ろ盾はおろか身内さえいないこと。平家を倒し世を正すには後ろ盾になってくれる北条一族と政子が必要なこと。
真剣に北条家を考え北条を守る意思が強い義時を見て、頼朝は義時のことを弟のようだと言います。(実際に義理の弟になりますが)
頼朝の悲願を知り熱意に引き込まれた義時はこれまでの態度を一変、頼朝に忠誠を誓います。
いよいよドラマは頼朝挙兵に向けたストーリーが展開され石橋山の戦いも近づきました。
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石橋山古戦場の場所です。現在の小田原城と真鶴町の中間あたりで相模湾に面しています。国道135号線からアクセスできます。
漁港の駅TOTOCO小田原から見た石橋方向の眺望です。海岸線に沿って走る道路は西湘バイパス。
付近の山が海岸に迫っていて急峻なことがわかります。
グーグルストリートでチェックしたらこちらのほうが海岸から立ち上がる石橋山の形がわかります。
国道135号線の有名な鈴廣かまぼこ石橋店です。
ちょうど店舗の向こう側に見える山の中に石橋山古戦場があります。
石橋山古戦場を上から。
古戦場と聞くと戦国時代の合戦のように広い場所をイメージしがちですが石橋山には広い場所は見当たりません。
佐奈田霊社から文三堂といった史跡は直径200メートル以内ですが険しい地形です。
くねった道路は舗装されていても道幅が狭いところも。落ち葉が積もってしまっている場所もあります。
東海道本線と並走する135号線の側道からアクセスできます。下の写真の線路の反対側の崖の上が石橋山古戦場です。
古戦場に行くには前方に見えるトンネルの横の坂を上りトンネルの上の道路を走ります。(トンネル横の坂は短いですがホント急坂)
トンネルの上を通り抜けると上の写真とちょうど逆方向のアングルになります。
バイクは大型だとUターンできない場所も多く小型バイクかオフロード車がおすすめ。
佐奈田霊社手前の分かれ道に古戦場の碑が建っています。
碑の少し先に佐奈田霊社の駐車場が見えてきます。
駐車場の土の地面は砂利も多く若干傾斜もあるのでバイクは立ちゴケに注意。
さっそく佐奈田霊社にお参りします。
神仏習合の霊社で立派な本堂です。
佐奈田霊社には石橋山で討ち死にした頼朝方の佐奈田与一義忠が祀られています。境内に与一塚があります。
石橋山の戦いは1180年(治承4年)8月23日の夕刻から始まりました。
大雨の中、多勢の大庭景親が援軍が間に合わない無勢の頼朝勢に戦を挑んだという解説が一般的です。
頼朝の援軍に向かう三浦勢は途中で景親の仲間の館に火を放っています。
石橋山の陣地にいた景親が火の手が上がるのを見て戦を急いだという解説もあります。
佐奈田霊社の鳥居の前から小田原方面を見てみるとその解説に現実味を感じます。この写真の距離感は肉眼と同じくらいです。
肉眼でも酒匂川河口から先の二宮・大磯やさらに先まで見えます。
左端に白っぽく見える建築物が集まる場所が小田原駅周辺です。
実際に石橋山から酒匂川河口までは直線距離で6キロもありません。
相模の国の豪族で平塚も領地の景親ですから、この写真の範囲に火の手が上がれば三浦勢の位置や進軍のスピードも推測できたのかもしれません。
次ページは与一討死の地と文三堂を歩き、再びバイクにまたがって頼朝が安房国に船出した真鶴を訪れます。